教会のことを詳しく知ることができる!教会の文化や歴史に関する情報をご紹介

教会とは本来は、キリスト教を信仰している方々が神と対話をするための厳かな場所でした。教会で結婚式を挙げるという文化は5世紀のローマ帝国から始まったもので、血のつながりがない他人同士がファミリーになるという奇跡を与えた神に感謝をするための文化でした。日本では明治時代に正式に西洋スタイルの冠婚が伝わり、長崎県から一気に全国各地に教会が建造されるに至ります。いまでは世界共通に文化になり、いろんな世界で目にできます。
宣教師の努力で建設された日本で初めての教会
教会が日本国内に初めて建設されたのは16世紀のことです。当時の日本は戦国時代であったので、全国各地の戦国大名が互いに領土を争って戦争をしていました。この時代に日本初の教会が建てられたのは、日本にキリスト教が初めて布教されたからです。日本にキリスト教が伝わったのは1549年のことで、当時の日本に来た宣教師によって布教活動がおこなわれました。これらの人々は、キリスト教を布教するためにヨーロッパなどから長い時間をかけて、日本まで旅をしてきました。当時の日本ではキリスト教はすぐには広まりませんでしたが、宣教師たちの熱心な努力によって、日本でも少しずつ信徒の数が増えました。その中でも信徒の数が特に多かったのは九州地方です。信徒の数が増えると布教の拠点となる場所が必要になったので、日本国内に教会も建設されるようになりました。日本国内のさまざまな場所に教会が建設されましたが、この時代に建てられたもので現在まで残っているものはありません。
天主堂と呼ばれることもあった明治時代の教会
日本では1980年代以降、ブライダルでは神社で実施をする神前式よりも教会で執り行う西洋式結婚式が人気を博するようになりました。国内では戦国時代中期に、ポルトガルからキリスト教が伝来しました。それ以降長崎県を中心に教会が建造をされ、地域の方々が信仰する宗教になったわけです。簡単に教会の概要を述べると、明治時代に新しく建立された施設は天主堂と呼ばれているのが特徴になります。天主堂とはどんな意味がある言葉なのか、これは天に存在する主、つまり神がおいでになる場所という意味です。語源は1500年前のローマの大聖堂で誕生しており、現在でもイタリアのバチカンではこの呼び名で言われています。なぜ国内では明治時代の建造物のみに適用されるのかというと、1800年代後半に伝わったキリスト教はカトリックになるからです。以前はポルトガルなどの西欧地域の宗派でしたが、現在主流なのはバチカンのカトリックとなっています。
戦国時代の日本では南蛮寺と呼ばれていた教会
日本では意外なほど古い時代からキリスト教の開始されています。外国人宣教師が日本を訪れて布教を行った例も数おおく存在しており、人々の信仰を集めていました。南蛮寺は特に室町時代から安土桃山時代、戦国時代にかけて建てられた教会を示す言葉で、特に織田信長の許可を得て京都などに作られたものを指しています。当時の南蛮寺はキリスト教の布教所として機能しており、外国人宣教師はこの教会も使って布教を行っていました。教会の中でも古くから日本に存在し、キリスト教が広まる支えになった場所と言えるでしょう。現代では残念ながら現存する建物はすでに残っていないとされており、その姿は史料によって推測されるのみに留まっています。大工を集めて新築で建てられたものの他に、すでにあった仏教の寺院などをそのまま転用して教会に使っていたものもあったとされています。日本におけるキリスト教の布教の歴史を表し、現代に続く歩みを教えてくれる存在です。
教会によってそれぞれ違いがある宗派
教会はどれも似たようなイメージですが、宗派によって違いがあるのではないでしょうか。キリスト教は大きく分けるとカトリックとプロテスタントが主流で、カトリックの教会には聖母マリアの像があります。また日曜日に実施されるのがミサで、神父や司祭と呼ばれる人がいればカトリックだと断定できます。プロテスタントは母マリアの存在を特別視していないので、聖母マリアと思われる像は置かれていないです。聖職者が牧師と呼ばれるのもプロテスタントの特徴ですから、そこで見分けることができます。プロテスタントにとっての日曜日の教会は礼拝を行う場所なので、この点も宗派の違いを見分けるポイントです。正教会は世界最古のキリスト教派といわれていて、イエス・キリストよりも父なる神が重視されています。神父はいますが伝統を重視しているので、豪華な聖堂や機密を意味するサクラメントが見られます。このような違いを知ることで、キリスト教の違いや見分け方が理解できるのではないでしょうか。